【新発見の義経神社】
2月23日、私(山崎会長)と川村哲也さん、喜喜さんの三人で「八面荒(はちめんこう)神社」に行ってきました。義経公を祀った神社です。
場所は八幡平市石神42番地。通称浅沢地区という所で、高速の安代インターを降りて10分。その神社はポツンとありました。小さな祠といった神社でしたが、鳥居は大きく立派でありました。
この神社は源義経を祀っているだけでなく、亀井六郎重清、熊井太郎忠元、備前平四郎定清、武蔵坊弁慶、鷲尾三郎経治、常陸坊海尊、増尾十郎兼房の、合わせて七人の義経従者が祀られており、故に八面荒神社と呼称している訳です。「荒」は荒武者、荒法師、荒神に掛けているものと思われます。
ところで、そもそもの神社名は「發明皇神」と呼称する神社であるのが、いつの間にか、それがなまって、しかも八人が祀られていることから「はちめいこう→はちめんこう」になったのではないか、と推測される訳です。
この神社は川村哲也さんが、ネット情報から発見したものです。私は全く知らなかった神社で「新発見」というべき神社であります。もちろん、地元では知られた神社ですから、我々だけの「新発見」な訳ですが、恐らく、義経北行伝説研究家でさえ、知られていない神社だろうと思われます。
この祠の建立年は不明ですが、建立の理由、由緒から推理すれば、文治4年5月辺りとなりそうです。
この神社は、何度か建て替えが行われたようで、平成17年8月吉日には、写真のようは石碑も建立されています。奉納者は佐藤三郎兵衛継信の末裔で38代目の佐藤升亮氏。なるほど、納得しました。
祠の扉を開けると、中に義経の武者姿の木像が安置されていました。
この地は義経北行伝説とは全く無縁の神社で、義経の家来の誰人も八幡平市にゆかりはありません。なのに、何故ここに義経ゆかりの神社があるのか٠٠٠。それは、義経北行を知る縁者が、八幡平市に逃れてくるかもしれないと思い、予めこの浅沢地区に家来が先に待っていて、義経主従の休息所を準備していた、と八幡平市博物館の史料に記されているのです。結局、義経主従一行は八幡平市には来なかったものの、その家来が、武運長久を祈願する為に建立されたものらしいということです。詳しい経緯は(今のところ)不明です。近い日に神社の別当さんに会い、お聞きしたいと考えています。機会があれば、是非お立ち寄りください。
その神社と道を挟んで向かい側に、源氏ゆかりの白旗神社もあると聞いていましたが、後日参詣することにしました。何故この場所に八面荒神社を建立したのか、その理由もこれで明らかになりました。
現在、八幡平市博物館では『トピック展』が開催されており、この義経神社に祀られている、普段は見ることのできない三尊像(この三尊の名称は調査していませんから不明です)を展示中とのこと。
当日、私たちは、近くにある温泉施設『清涼閣』で汗を流し、帰宅しました。以上、報告します。
兎団電脳部様『朗読劇ワークショップ成果発表会『義経高館脱出前夜の段』』公開中
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